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受験の合否 悲喜こもごも
「絶対にある」と確信して行った中学受験の合格発表の掲示板に自分の名前を見つけられなかったあのとき・・・・。
一度目は見間違いではないかと思い、二度目は見る場所が違うのではないかと思います。
息子の名前がないという事実が実感できず、おかしいと思ったものです。
一旦その場を離れて息を吐いて、目をこすってメガネを目にグッと近づけてもう一度掲示板に近づき、さあこれが初めてだからという気持ちで再度見る、でも、確かになにものかに自分のことを全否定された気分になって落ち込んだものでした。
母親でさえ、そんな気分だったのに、勉強を頑張った子供達はどんな気持ちで帰り道を歩くんでしょうか。
負けた方は大いに泣き、悔しさを噛み締めてください。
勝てたほうがいいし負けたくもない、当然です。
でも今回の結果の本当の決着がつくのは、今回の結果が良かろうが悪かろうが、時間が経過して振り返ったときに、
「いろいろあったけど、結果的にあの時あの結果で良かったよな」
と思えるかどうかにかかっているわけです。
さあ、すぐに次のラウンドのゴングが、またなり響きますよ。
受験準備で子ども達が学んだに違いない「努力、忍耐力、継続する力、小さな達成感の繰り返し、これこそが、子ども達が得た人間力であり、生きていく上での財産に他なりません。
受験が終わり、どんな結果であったとしても、本当に意味のある時間だった、価値ある時間だったと思えるような準備期間、準備内容でなかったとするならば、それは子供にとっても、それを支えた親にとっても悲惨な時間の浪費でしょう。
極端な言い方をすれば受験の合否に関係なく、準備の期間は子供達の学力のみならず、様々な面での成長を促す大きな価値ある時間だった、ということにしてやる責任が親にはあるのです。
中学受験の合否が、点数という数値によって決定されるものである以上、偏差値や成績やテストの結果など、そういうものに目を奪われるのは当然で数値はウソをつきません。
しかし、そういう数値だけに意識を集中してしまうのではなく、数値では表すことのできないさまざまな力、成長を大事にする意識を持っていなければあまりに受験は虚しいものでしょう。
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